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2025/01/17

「明日死んでもいいための44のレッスン/下重暁子」を読みました。

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『明日死んでもいいための44のレッスン/下重暁子著(幻冬舎新書)』を古本で見つけ、読みました。

2021年第一刷発行の本ですが、書かれている話題の中にはかなり前の1990年代半ばのものもあり、「ああ、あの時はこんなことが常識化、常態化していたのか」と思い返すようなことがいくつもありました。

世の中の“当たり前”が変化していく中でも、下重さんが変わらず主張していることは“ブレ”がありません。
やりたいことをやり、無理をしていくつも仕事を引き受けない、付き合いたくない人とは付き合わない。シンプルに暮らす。

上記のような中で、この本のタイトルにあるように「明日死んでもいい」と考えられるような生き方、暮らし方を模索する内容になっていました。

私も年々そういうことがドンドンと背後から迫ってくる感覚があり、今まで割と先のことだよと読んでいたこの本のような内容のものは、より身近に感じてくるようになりました。

下重さんのさっぱりとした考え方、きっぱりと言い切る内容とは反比例して歯切れがもう一つと感じたのは、下重さんが若い頃経験した恋愛の相手についての記述が今までの本でも幾度か出てきていましたが、今回も何度か書かれています。

たぶん下重さんの中では未だ解決されていないことなのだと思います。
読んでいる私には、すこし安心するような感覚がありました。

どのような問題も「こう考えればいいし、何を言われても決めたように進めばいい」という感じの下重さんの心が揺れているのです。そういうことが人間ひとつやふたつや、みっつ・・(^_^;)あってもいいんじゃないでしょうか。
私なんか三十個くらいあります・・ ^^;

この本ほど、自分が死ぬときについて真正面から向き合っている本はないと思えるくらい身に沁みる本でした。
私自身も、自分がやがて死んでいくことについてかなり真剣に考えました。

多くの人にとって死というものに対する心の転換点になるのではないかと思える本でした。

 

2025/01/12

「魔法使い・山本夏彦の知恵/小池亮一」を読みました。

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『魔法使い・山本夏彦の知恵/小池亮一著(東洋経済新報社)』を古本で見つけ、初めて見る本で、すかさず買い求めました。

私が山本夏彦を知ったのは大学時代。
たぶん「日常茶飯事」を文庫で読んだのが初めてだったと思います。
その後、この“変わった人”は何者だ?!と、読めば読むほどわかることと、わからないことが渦巻き、それが妙な気持ちを起こさせ、かなりの冊数を読むことになりました。

その山本夏彦の弟子と自称し、夏彦翁の著書、言動について夢中になって記し、研究し、解析し、心酔するのが、この本の著者・小池亮一氏です。

テレビに出ず(※私はラジオに出たのを二度ほど聞いたことがある)、講演せず、手形を切らず、金を貸さず、激辛で毒のあるコラムを書き続ける夏彦翁を徹底的に追い、追うだけならまだしも傍にピタリとくっついているかのような印象の本でした。

死んだ人と生きている人の区別なくコラムに登場させる夏彦翁の文、そして明治の文語体を駆使する翁の文章は格調高いのか、なかなか文語が理解できない私のような読者を嘲笑う如く、そしてけむに巻くかのように話は先へ先へと進み、半分くらいわかったところで終わってしまうのです。

だから、もう一度読み、こんなことかもしれないと思っていると、別の著書を本屋で見つけ、またまた同じように悶絶しながら読み、なんだか面白いと無限地獄の夏彦翁の世界に引きずり込まれていくのでした。
そして山本夏彦の魅力はそこにあるのではないかと思うのです。

著者、小池氏はまさにその沼にはまり、あまりの居心地の良さに“つかり続けて”いるというわけです。

巻末の方に書かれている米国からの原爆投下に対する夏彦翁の怒りの様子は、この本を読んで初めて知りました。
そこでまたそれについて書かれた本がないのかと探そうとしている自分がいます。

亡くなってから二十年以上も経っていると思いますが、まだまだ私の心の中には翁の考えていたことにもっとふれてみたいという気持ちがあります。

 

2025/01/07

「とにかくうちに帰ります/津村記久子」を読みました。

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『とにかくうちに帰ります/津村記久子著(新潮文庫)』を古本で見つけて読みました。
2012年に刊行され、2015年に文庫化されたものです。

著者・津村記久子さんは、太宰治賞、野間文芸新人賞、川端康成文学賞、芸術選奨新人賞、紫式部文学賞などを受賞されている方で、私は今までにこのブログで読後感を紹介した「この世にたやすい仕事はない」と何人かの作品がまとめられた「考えるマナー」の中に津村さんの文があり、それらを読んだことがありました。

今回の「とにかくうちに帰ります」は、なんというかまるで誰もが日常に生活し、職場に行って仕事をする中で毎日感じていること、毎日起きているようなことが実にリアルに“まんま”の状態で書かれていると思いました。

何か“事”が起こると、実際はよくある小説のような展開にはならず、あっちに行ったりこっちに来たりと“迷走”し、ドラマチック過ぎず、でもありきたりな事にもならず、“ぐたぐだ”と三歩進んで二歩下がるようなことになるわけですが、そんな感じで書かれているのです。
こういう感じの小説って、読んだことがないように思います。

登場人物も、“いい人”“悪い人”っていう区別もなく、そもそも人って“いいところ”もあれば“悪いところ”もあり、そのグラデーションで生きているんじゃないかと思うので、この小説でも人は人らしくそのグラデーションを見せています。

そして、「えっ、あの人が」と思うような人が意外や大胆なことをしているっていうのも、この小説で描かれていました。

つまり、この小説は誰もが感じている日常の我々を見事に著し、生きていくことの理不尽さと、不条理と、それでも生きていく普通の人が描かれていると感じました。

時々、自分が完全にストーリーの中に入り込んでしまい、じりじりとしたり、ヤキモキしたりしてしまったのでした。
精神的にはけっこう迫ってくるような印象の小説でした。

 

2025/01/05

「俳句入門 作句のチャンス/鍵和田秞子」を読みました。

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『《新装版》俳句入門 作句のチャンス/鍵和田秞子(本阿弥書店)』という本を古本で見つけ、作句の参考にと思い読んでみました。

こういう入門編のような本を古本で手に入れると、必ずと言っていいほど最初の5~10ページには赤鉛筆で熱心に線が引かれていて、だいたいその後は全く線は引かれていません。
最初の項目が終わらぬうちに“挫けて”しまうんでしょうね。
余計なことですが、赤線が引かれた部分は、たいてい“お門違い”なところばかりです。
今回は、巻末の著者略歴のところにも赤線が引かれていて、どこの大学を出たかとか、職業・役職などのところに“ぎゅっ”と線が引かれているのです。だいたいいつも同じ・・(^_^;)

などと前置きはさておいて、この本は風景、動物、天文、生活、行事、スポーツ、職業、愛、子、父母などについて句を詠むときに大切なことと、例として様々な俳人の句もそのテーマごとに挙げられていて、私のような俳句を独学で詠み始めて一年未満の者にはたいへん参考になるものでした。

ただし、昭和7年生まれの著者とは育った時代も経験値も異なり、例示されている句も私には調べないとよくわからない語句や表現が使われていて、何度も立ち止まりながら読むことになりました。

著者、鍵和田さんの“真っ直ぐ”で、“風雅”な感覚は、私にはあまり無いもので、句作に取り組む姿勢としても参考になりました。
私はちょっと自分で作るときに力が入り過ぎて、“ぎこちない”ものになっているな、と反省もいたしました。

これからの句作に際して、参考に時々めくってみるような本になると思います。
いい本と出会えました。

 

2024/12/31

「図解 眠れなくなるほど面白い 疲労回復の話/梶本修身」を読みました。

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『図解 眠れなくなるほど面白い 疲労回復の話/梶本修身著(日本文芸社)』という本を興味を持ち、読んでみました。
著者の梶本修身さんがラジオに出演して語られていたのを聞き、語り口が面白く、それに“引っ張られた”^_^; 感じで手に入れたのです。

著者の梶本さんは医学博士で、東京疲労・睡眠クリニック院長です。健康本だけでなく、メディア出演も多数のようで、今回、私はラジオで初めて知ることになりました。

簡単に言うと、『疲労の正体は「脳の疲れ」だった』ということで、それをメインテーマに様々な事例を挙げて疲労回復の方法について書かれていました。

楽しいから疲れない・・と、趣味の作業などは休まずに続けてしまう人が多いと思われますが(私もそんなとろこがある)、それが“超危険”なことだというのです。
「疲れのアラーム」を隠してしまい、それが過労死にまで至るという・・('Д')

疲れのアラームに気づかないと、自律神経の乱れが原因で自律神経失調症ということになり、放置すると深刻なダメージを引き起こす・・なんか思い当たる時期がありました。

とにかく色々なアドバイスが書かれていましたが、少し意外だっのが、栄養ドリンクは飲むほど疲れていく、とか、サプリメントは疲労回復効果には意味ないどころか逆効果だとか、お酒は疲労回復面ではメリットなし、とか、疲れたときはスタミナ食ってのはウソ、だとか、温泉やサウナは疲労回復にとって逆効果(・。・;だとか、仕事帰りにジムに寄るなんてのもダメ、意外なことばかりでした。

そして、疲労回復に効果ある実際の方法が書かれているのですが、それはここで書くと営業妨害なので、興味ある方はこの本実際に手にとってみてください。

暮も押し詰まって疲労の原因について新しいことを知りました。
やれることは少し実践してみようかと思っているところです。

 

2024/12/29

「仏教人生読本/岡本かの子」を読みました。

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『仏教人生読本/岡本かの子著(中公文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
昭和9年に刊行された『佛教讀本(のちに「人生読本」として改題再刊)を、「仏教人生読本」と改題し、平成13年、中公文庫として刊行したものです。

岡本かの子氏といえば、あの岡本太郎の母であり、私の知っていることと言えば歌人として活躍した人、そして結婚後に夫の放蕩に悩み、精神を病んだのちには夫がかの子に他の男との恋愛を認め、しかもその男を夫婦二人と同居させ、さらにその男が去ったのちにも他の男二人と欧米への旅に出掛け(これには子の岡本太郎も同行させている)、ヨーロッパの芸術と文化を吸収させるに寄与したという事実がある・・簡単に言うとこんなことでした。

常人には考えられない世界ですが、こんなことのあった後にかの子を支えたのは、この本に書かれている仏教でした。

この本は、難しくて初めて聞くような仏教用語が多用されているのですが、人が生きていくうえでの実例をわかりやすく挙げながら説明しているので、なんだか“腑に落ちる”のです。

ただ、例示される人生の様子があまりにも多岐に渡り、しかも自分にとって刺激になり、そうかそういう考え方をすると納得できるのか・・などということになり、その都度自分の中に落とし込んでいたら約300頁のこの本、一週間ほどかかって読むことになってしまいました。

かの子が再三にわたって言っていることは、「これはこうだ」と決めつけず、自分の感情や、従来の考え方を押さえつけるようなことなく、“ほど良い立ち位置”を見つけて、人間というものの行い、考え方をするのがよいということだと、私は読みました。

いちばん私が興味深く、“面白い”と感じた部分を長いのですが引用いたします。

結婚当初、恋愛生活を夫婦愛と間違えていたものは、結婚後二年、三年、五年と経つうちに、余りに身近く打ち融けてお互いに異性としての魅力もなくなり、兄妹のごとく、師弟のごとく、母子のごとく、友達のごとく、感じて来るのに唖然として新婚の快い夢が覚めるのであります。

この時が結婚倦怠期であって、最も戒心をする時であります。
相互の矛盾欠点が眼に立ち、赤裸々の男女が鼻突き合わせて、遠慮会釈もなく、ザックバランに、二人が本当にこれから先きの長い生涯を一緒に暮らし得らるるや否やを吟味するのであります。

その刹那こそ真剣にして悲壮な場面であります。
この際、男の社会的地位も事業も風采も何の“たし”にもなりませんし、女の器量も表情も勘定のうちに入りません。

ただただ赤裸々な一男性と一女性とがお互いの愛と、ともに担い合う意力とを吟味するのであります。

かくしてお互いが信頼し得るものと決定したとき、その決定は仏教の真締に相当するものであって、物の真実性を認めたものであります。
決して誤算がありません。この時の結合はもはや人智や意志の結合ではなくて、因縁の理による自然力の結合であります。

私はこの結合を機として、本当の夫婦愛、本当の夫婦生活が始まるのだと思います。


・・・引用が長くてすみませんでしたが、この文は深いと思い、何度も読み返してしまいました。

一冊読むのにもたいへんな「読本」でしたが、この歳になった私にも色々と考えることがありました。

 

2024/12/23

「ひとりで生きる/伊集院静」を読みました。

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『ひとりで生きる -大人の流儀9- /伊集院静著(講談社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2019年発行の本で、初出は「週刊現代」の2018年10月~2019年8月に掲載されたもので、その中から単行本化にあたり抜粋、修正がなされています。

いつも読むことによって心強くしてくれた伊集院さんの本ですが、伊集院さんは昨年11月に亡くなられました。まだまだ力強く叱って欲しかったと今でも思います。

いつもどおりの“伊集院節”ですが、私の心に残った部分を少しだけ抜き出してみます。

〇勘違いと傲慢は、その人の成長をたちまち止まらせる。

・・・天才と言われて、その気になったら終わるのと同じであると伊集院さんはおっしゃっています。
そんな人、有名人でも何人も見てきましたが、私の仕事人生の中でもそんな勘違いをして途中から道筋を外れて行った人がいました。
未知の領域にあるものを発見したり、創造したりするということは、勘違いや傲慢な態度をしている暇も無いほど励まないと出来ないということなのだと伊集院さんはおっしゃっています。

〇※伊集院さんを拾ってくれた会社社長の言葉(故人ですが、ラジオのジャズ番組の司会を長いことやられていて私はファンでした。“お味噌ならハナマルキ”の歌を作った人です。貿易会社を経営されていた。) → 「碌な学歴も、家系さえないおまえが、この社会で生きて行くには他人の十倍、いや百倍働け!三十五歳までは土、日、祝日はないと思って働いて、ようやく人と並ぶんだぞ」

・・・大学を卒業しても就職せず、けっこう“ヤバい”仕事をして、フラフラしていた伊集院さんは、この社長に拾われ、二年間、鍛えられ、時にはやさしい言葉をかけてもらっていたようです。
この社長が亡くなられるまでずっと人生を教えてくれたと感謝していました。

〇時折、銀座の遊び場でネエさん方が、「今のお客さんの時計見ました? XXXXで三千万円するのよ」と耳にした伊集院さん、「よほどの成金か、バカなのだろう」とおっしゃっています。

・・・私もまったくそう思います。学生時代の友達と就職して十数年後に同窓会などで会う機会があると、時計を見せて「これ、わかる?いくらだと思う」と聞いてきた“羽振りの良さそうなヤツ”が何人かいましたが、相手にしませんでした。

というようなことが、たくさん書かれていました。
いつものように自分はそんなに間違った生き方をしてはいないんじゃないか、という確認ができたような気がします。

 

2024/12/20

「本を読む/安野光雅」を読みました。

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『本を読む/安野光雅著(山川出版社)』を古本で見つけ、読みました。
2016年発行の本です。挿し絵はもちろん、著者・安野さんご本人で、簡素だけど実に味わいのある絵でした。

安野さんが興味を持って読んだ本の色々を、その一部を引用しつつ、本を読むことがどんなに楽しいことか、わくわくすることか、そして自分の中に何ごとかをもたらせてくれることか、ということが、とても安野さんらしい熱心さで書かれていました。

あとがきなどにも書かれていましたが、2016年のこの頃でも本はどんどん読まれなくなっていたようです。
2024年の今は、さらにその状況は加速し、本屋さんの無い市町村もますます増えているようです。

安野さんも書かれていますが、明らかにテレビやインターネットなどで得るものとは、本を読むことで得るものは異なると私も思います。

本は読みながら自分で考えていかないと先に進まないし、それが個々の“考え方”に大きな影響を与えていると思います。

つい先ごろの選挙等でも、自分で考えずに他人が垂れ流ししたものを丸ごと信じてしまい、いったん自分の中で考え、意見・意志を構築する段階がすっ飛ばされているように感じます。

それを安野さんは読んだ本文の引用と、自分が得た考え方を丁寧に書き表して、とても心地よい本に仕上げてくれていました。

こういう本、読んだ方がいいよなぁ・・と思いながら読了いたしました。

 

2024/12/16

「珈琲が呼ぶ/片岡義男」を読みました。

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『珈琲が呼ぶ/片岡義男著(光文社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2018年初版発行の本です。

とにかく珈琲にまつわる文がたくさん書かれているのですが、どのエピソードもやたらと音楽、映画などの知識がただ事ではない著者の、あまりにもマニアックで詳しい記述に驚くばかりです。
もう、まったく“太刀打ちできない”細部に渡るエピソードが散りばめられていて、面白いけどついていけない・・というのが実際のところでした。

ビートルズの四人が雑誌に載ったときの写真と、そこにある実際のサインのエピソードもありましたが、私がたまたまビートルズの来日時のことなど色々調べて知っていたからついていけましたが、ビートルズ・ファンでない人には“ちんぷんかんぷん”な話ではないかと思いました。

なので、他のミュージシャンや、映画やスターの話題など、名前を知っているだけの人も多々登場していましたが、たぶん知っている人には極上の話題が提供されているであろうにも関わらず、私にはまったくもってわからない・・ ^_^;

また、どうしても欲しい古いレコードなどについて、知人にお願いして探してもらう話もありました。
どうしてもその曲、その人のプレイなどが聞きたいというわけですが、人に頼んで、受け取るときのやり取りも小説を読んでいるかのような展開で、どこまでが本当の話で、何がフィクションなのか、けむに巻かれたような気分で読みました。

あまりにも“ぎっしり”と詰め込まれた“血も滴るステーキ”のような話題に指をくわえ、涎をたらして見ているだけ・・というような感じになってしまいました。

もう一度、それぞれのミュージシャンなどのことを調べてから読んでみると、さらに何倍も楽しめそうだと思いました。

 

2024/12/10

「新 田中角栄名語録/小林吉弥」を読みました。

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『新 田中角栄名語録/小林吉弥著(プレジデント社)』を古本で読みました。
12月8日のこのブログで「田中角栄 100の言葉」という宝島社編集の本をご紹介しましたが、同じ古本屋の棚に隣同士に置かれていました。
思わず両方とも手に取り、結局二冊とも読むことになりました。

今回は政治評論家で、23年間に渡り田中角栄取材にエネルギーを注いだ方が書いた田中語録です。
こちらも興味深く読みました。

「人を叱るときは“サシ”でやれ。褒めるときは人前でやることだ。」
という言葉が印象に残りました。

私の仕事人生で、上司であった人達の多くが上記の正反対のことをしていました。
皆の前で厳しく、見せしめのように叱り、褒めるときは二人きりの時に「まあ、よくやったかもな・・」って感じで(^-^;仕方なく褒めたという印象でした。ほんとは褒めたくなかったんでしょう。

それから首相官邸の警護をしていた出入口の署員ボックス(当時の警視庁麹町署の管轄)に向かって、クルマで通るときに、わざわざ自分で窓を開け、片手を上げて必ず『ご苦労さん』と声をかけていたエピソードが載っていました。

田中派担当記者が「なぜ『ご苦労さん』とまで言うのか」と愚問をぶつけると、「当たり前のことじゃないかね」とサラリと言ったそうです。

私が東京勤務時に、麻布十番納涼祭りという数十万人規模の入場者がいるイベントに参加したのですが、当時の局長が休日の東京の現場まで地元からわざわざ訪れて「ご苦労さん」と声を掛けてくれ、しかもイベント用のTシャツにすぐさま着替えてくれて、テントの前に立ち、お客さんの呼び込みをしてくれたのを思い出しました。

やろうと思って出来ることではないと思いました。
ほんとうにそういう人なのです。
しかも、前の人通りが激しく、落ちているゴミを箒と塵取りで率先して掃除してくださったのも印象的でした。

ようするに、田中氏もそういうことなんです。
心から思っていないことは自然にやることは出来ないのだと思います。

上記の他にも角栄氏らしいエピソードが満載で、参考になる言動がたくさん載っていました。
前回の田中角栄本に続いて、勉強になる本でした。

 

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