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2025/11/15

「らくだの話-そのほか/椎名誠」を読みました。

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『らくだの話-そのほか/椎名誠著(本の雑誌社)』を古本で見つけて読みました。
初出が本の雑誌2005年6月号~2007年5月号と、yomyom vol.2「消える本箱」からのもので、2007年に単行本化されたものです。

だいたい今から20年ほど前なので、椎名さんは“花も嵐も踏み越えて”相変わらず“あやしい雑魚釣り隊”なども結成して日本中あちこち旅に出たり、国外にも冒険的な旅で出かけたりもしていますが、でも、少し「面倒なことはしたくない」などという言葉も聞こえ始め、体的はちょっと“しんどく”なってきた時期だったことが読み取れました。

初めてご自身の撮った写真のみでの写真集(※文をふんだんに入れたものは過去にあったが)を出版して、それを機会に懐かしい人たちとも再会したりもされています。
その時にはかつて「怪しい探検隊」で“奴隷”と呼ばれていた当時の若者がすっかり立派になっていて、椎名さんもよろこびを隠せません。

また、日本全国のお祭り取材をしていた頃のことも書かれていて、各地の“奇祭”と呼ばれているようなお祭りの様子も楽しく読みました。

さらに昭和の時代を振り返るような本との出会いも書かれていて、それは椎名さんが子供の頃を千葉の幕張で過ごしていて、その経験が私にも近いものがあり、とても懐かしく読みました。

椎名さんの本については、最近また古本で何冊も手に入れたので、それらを読みましたらまた読後感を書きたいと思っています。

 

2025/11/11

「驚典 -群ようこ対談集-/群ようこ」を読みました。

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『驚典 -群ようこ対談集-/群ようこ(講談社文庫)』を古本で見つけて読みました。

IN☆POCKET(※講談社が発行していた文芸PR誌)1999年8月号~11月号に掲載されたものを2002年に文庫として発行したものと書かれていました。

この本での群さんの対談相手は多彩な方々ですが、壮絶なお買い物体験エッセイが有名な、中村うさぎさんとのものは、ブランドものの買い漁りや、何百万何千万もする着物を買いまくった話なのですが、ちぃともわかりませんでした。

プロ麻雀士との対談も何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。
上記二つの話題は、群さんがけっこう“ヤバい”感じの人なんじゃないか、という気持ちを強く抱かせるものでしたが、対談相手によってはまるで別人になるので、群さんの間口の広さというか、奥の深さに唸りました。

「寿司屋のかみさん」エッセイで有名な佐川芳枝さんとの対談は面白かった。
いばっているお寿司屋さんの話や、実際に寿司屋での振舞いをどうすればいいのか、など、本音の対談は佐川さん自身がとても魅力ある人なので、“がっぷりよつ”の良い対談になっていました。

また、東京藝大の島田文雄氏を訪ね、対談のあとに実際にろくろを回して茶碗を作るというものがあり、これもお二人の会話も、実際に粘土を捏ねていくところから指導を受ける部分まで実に楽しく読みました。

さらに何人もとの対談を読んでいくと、群さんの人生は実に“太く長く”これからも続いていくのだろうなあと思いました。
懐が深すぎる・・(^_^;)

あっという間に読み終えました。

 

2025/11/10

『「忘れる」力/外山滋比古』を読みました。

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『「忘れる」力/外山滋比古著(潮文庫)』を古本で見つけて読みました。

2011年に刊行されたものを2022年に文庫化したものでした。

著者・外山滋比古氏の学生時代からその後に至る間に経験したこと、気づいたこと、実践したことなどが淡々と、しかも題材豊富に書かれていて、氏はつい今の今までこうと信じてやってきたことでも、人から言われた(先生や周囲の声など)ら、すぐにバッサリとやめてしまって、それまでとは全く正反対の行為・行動をしたりしています。

読んでいて「極端な人だなあ」と何度も思いましたが、それが氏の最大の特徴かもしれず、さらに次々と新しく始めたことで成果・結果を出していくのです。

学校では陸上競技に目覚ましい活躍をしていたのに、先生に「外山は競技のために学校に入ることができたのだ」と言われると、きっぱりとスポーツをやめて、勉学に励み、学校でも一番の成績を収めたりしています。

結局、様々なことに才能があったのだと思いますが、特に「ことばの旅」という章での、日本語と外国語の違いなどについてふれている部分などには、なるほどと感心し、驚くことばかりでした。
頭の回転が常人ではないのです。興味の対象もあらゆる方向に向いていて、今後このような人が日本に現れることがあるのだろうか、とも思いました。

言文不一致という項目での、日本のことばは書くのと話すのとは別々の発達をしてきたので、文章は漢文の流れをひいた文語、そして話すことばは和語中心の口語であるということを書かれていました。
それが開国してみると、どんな問題が起こったのかと縷々書かれていて、興味深く読みました。

外山氏の本は、いつもスラスラと読めてしまうのに、深いことがあちらこちらに散りばめられていて、どの本も「知」の塊のようで、今回も読後になんだか自分も知識が充填されたような気になりました(^^;・・気のせいなんですけどね。

 

2025/11/08

「私 何だか死なないような気がするんですよ/宇野千代」を読みました。

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『私 何だか死なないような気がするんですよ -心とからだについての282の知恵-/宇野千代著・北林紀子構成(集英社文庫)』を古本で見つけて読んでみました。

1995年に海竜社から刊行されたもので、1999年に文庫化されました。

この本が単行本として刊行されたのは1995年12月。
著者・宇野千代さんはその半年後、98歳で生涯を閉じられています。

タイトル「私 何だか死なないような気がするんですよ」の、この本、読んでいると・・ほんとに死なないんじゃないの・・と思えるほどお元気な宇野さんがいらっしゃいます。

常に前向きだし、健康のためというか、長生きのためにやってみることは全て“いいこと”なんだと思ってやってみて、しかも明るくやっていて、ご機嫌もすこぶるいいっ!(^^;)

90代の年齢になって、思うように体が動かなかったり、遠くにも行けなくなり、家にいることが多くなっても、楽しいことを見つけ、常に前に前に進んで行く宇野さんがいました。

できないことが増えても、今自分が出来ることによろこびを見つけています。

私もこれから出来なくなることが増えていくのかと思いますが、でも宇野さんのこの本に示されている考え方は参考になります。

まだまだやること、やれることはあるのだと心強くなりました。

病気のことも心配ばかりしていると、かえって悪くなってしまうのだ、ということも書かれていましたが、実際のところそうなんじゃないかと最近思っているところです。

もう明日から私の今やれることを楽しくやり、さらにまだやったことのないものにもチャレンジしたいと決意したのでした。

 

2025/11/04

「暮らしの歳時記 -未来への記憶-/黒田杏子(ももこ)」を読みました。

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『暮らしの歳時記 -未来への記憶-/黒田杏子(ももこ)著(岩波書店)』を古本で見つけ読みました。
2011年発行の本でした。
著者、黒田杏子さんは俳人で、俳誌「藍生」を主宰され、同人誌「件」同人だった方です。
日経俳壇選者もつとめられた方で、1938年生まれ、2023年に亡くなられています。

そしてあの夏井いつき先生の師匠でもありました。

著者黒田さんは、子供の頃に疎開で栃木に家族で移り住み、小学生から高校生の間その地で暮らされていました。
この本でも、栃木での生活や、その中でふれた自然の様子に多く触れていて、それが句作に大きく影響しているのがわかりました。
だから、例示されている様々な俳人の句を見ても、奇をてらったものは無く、実に自然に心に入って来て沁みてくるようなものばかりでした。

なので、初心者の私にもスッと入ってきて腑に落ちるような句ばかりで、著者、黒田さんの句も美しく、なお且つ感動大きく、情景が目に浮かぶようなものがほとんどで、実に読み易く参考になりました。

暮らしの歳時記として紹介されている季語は、七種、餅花、椿、花冷、蓬、蓬餅、鳥雲に入る、牡丹、筍、茶摘み、栃の花、鮎解禁、蛍、青梅雨、噴井、滝、曼殊沙華、花野、山紅葉、神の旅、竹馬、炬燵、虎落笛・・などなど、私がこの二年で覚えてきたものばかりでしたが、例示されている句は、芭蕉、正岡子規、一茶、高浜虚子、久保田万太郎、飯田蛇笏、蕪村、河東碧梧桐、山口誓子、杉田久女、山口青邨ら名人の名句ばかり、どれもが珠玉の作品であり、でも誰もが思わず頷く素晴らしいものばかりでした。

私にとっても、今後句を詠むときの大きな参考になりました。
これからも何度も何度もこの本を手に取り、初心に返って日々句を詠んでいきたいと思いました。

 

2025/10/30

「風葬/北方謙三」を読みました。

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『風葬/北方謙三著(集英社)』を古本で読みました。というか、途中で読むのをやめました。
1998年第一刷発行の本です。

読み始めたのはよかったのですが、想像通りの“ハードボイルド”で、主人公の刑事が犯人と睨んだ相手を実に怖ろしい攻め方(現代だったら拷問)で、落としていくシーンが何度も出てくるのですが、手錠で柱を抱かせた相手の靴下を脱がせ、その靴下に砂を詰め、脳に衝撃が伝わるように何度も頭に打ち付けるような、読んでいるこちらがゾッとするやり方をするのです。

そういう方法が色々出てきて読んでいるこちらがダメージを受け、具合が悪くなってくるんですね。もう拷問を受けているのが自分みたいに思えて来て、寒気がしてくるのでした。

さらに登場する人物は誰もが人の心を持たず、人を殺すことなんて何とも思っていない人物ばかり。
登場人物も多すぎて覚えるのも大変。
人間味がある人はほとんどいないので、覚えることが難しいのです。
だって、みんな血も涙もない人ばかりだから特徴が無いのです。

若い頃だったら、“パワー”で読み続けることが出来たかもしれないし、話としては面白い展開なので、それなりに読むことが出来たかもしれないけど、途中で自分の心身の状態がひどいことになって来たのに気づき、三分の二まで読んで離脱しました。
その方が自分の健康を害さないと思ったからです。

もうハードボイルド小説は読まないだろうな、そういうものを読める時期は二十年前くらいに終わっていたようです。

ごめんなさい。

 

2025/10/26

「おぼえていても、いなくても/蛭子能収」を読みました。

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『おぼえていても、いなくても/蛭子能収著・画(毎日新聞出版)』を古本で見つけ読みました。

毎日新聞とサンデー毎日に掲載されたものから抜粋し、加筆再構成されたもので、2021年に発行されたものです。

私の蛭子さん像っていうと、ちょっと怠惰というか億劫なことはしない人で、仕事の場でもけっこう自分勝手、思わず本当に思っていることを口に出してしまいヒンシュクを買う・・というような印象で、もし一緒に仕事することになったら困ったタイプ、あるいは親類縁者の中にいたら近づきたくない人・・^_^;そんな感じでした。

でも、この本を読んで人の見方なんて、ほんとに一面しか見ていないのだなと反省いたしました。

蛭子さんは正直なんです。
色々な行い、言動は、私たちが生きていくうえで、そして仕事上で“ぐぐっ”とこらえて、とにかく“心にもないこと”でもいいから発言したり、行動したりして事なきを得る・・それをしないだけなんです。

読んでみたら、蛭子さんの幼少期、少年期はかなり貧しく、しかも家族はそれぞれの都合で母親と二人きりのことが多かったようで、兄に面倒をみてもらい、何とか高校は出てもその後の仕事も厳しい状況で、母をおいて東京に出てきたことについても、自分のやりたかったことをやってみたい、自分の人生だからということで、自らの心に正直に生きていくことを中心に置いているということがわかりました。

テレビ番組で見えていた奇異な行動や、あり得ないと思えるような発言も、蛭子さんの心の奥から聞こえてくる叫びのようなものだと感じだしました。

人の見え方って、心のチャンネルを変えてみたり、見る方向を変えてみると、それはそれなりに何かがみえてくるのだと、あらためて知りました。
両親、奥さん、その他仕事で接することのあった太川陽介さんらについても感謝の気持ちをかなり詳しく書かれていました。

終盤で、テレビ番組の企画の中から自分の「認知症」が発覚してからの、今後の生き方、奥さんとの過ごし方について書かれていて、それもなかなか私のような凡人にはできないような決意がありました。

実際はとても面白い話ばかり、可笑しい漫画付きっていう本なのですが、私にとっては学ぶことがたくさんあった本でした。

 

2025/10/23

「私訳 歎異抄/五木寛之」を読みました。

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『私訳 歎異抄/五木寛之著(東京書籍)』を古本で見つけ、読んでみました。

2007年に第一刷発行されたもので、作家・五木寛之氏による“私訳”、つまり意訳をさらに超えて、著者・五木氏が自分はこう感じた、こう理解した、こう考えたという主観的な視線から書かれた現代語訳版『歎異抄』と言えると思います。

歎異抄については、その存在は学校でも習ったし、よくラジオなどで「歎異抄」について簡単に読めるようにした本などの紹介もされていて、一度は読んでみたいと思いつつ、手が出なかったものでした。

ひとつには歎異抄は、弱者を押しのけるような生き方をしてきた人、人としてどうかというような生きのび方をしてきた人、そんな人の記憶の闇に一条の光が射されるような、そんな存在なのか、と思っていて、そのくらいしか自分には情報がありませんでした。

でも、この平易に書かれた(言葉面は誰にでもわかるような、やさしい文)私訳は、結局うまく理解することが出来ませんでした。

事前の知識・理解が不足し過ぎていたこともあるかもしれませんが、読んでいくと、一生懸命に何かしらを極めようとして生きている人と、酷いこと、悪辣なことをする人も結局“往生”するのだ・・ということになって、「そんなんでいいのか」と言うような人は何もわかっていない・・という結論になり、なんだか真面目に生きても損しちゃうんじゃないの、って思ってしまう超凡人な私がいるのです。

親鸞その人の筆ではなく、第三者をとおして描かれた回想録ということもあり、その著者の嘆きの書であることから、ますます理解することが困難なことになってしまうのでした。

あらゆる煩悩にとり囲まれている身はどんな修行によっても生死(しょうじ)の迷いからはなれることはできない・・そのことを憐れに思って立てられた誓いこそ、すべての悩める衆生(しゅうじょう)を救うという阿弥陀仏の約束なのだ、というわけですが、まだ何だかわからないのです・・。

この世に生きている者はことごとく深い業を背負っている・・これはわかった。

私たちは、すべて悪人であり、そう思えば、わが身の悪を自覚し、嘆き、他力の光に帰依する人々こそ、仏に真っ先に救われなければならない対象なのだ・・という・・何となくわかったような気になった。

おのれの悪に気づかぬ“傲慢な善人”・・世の中、こんな人だらけなような気もする・・でさえも往生できるのだから、まして悪人は往生できるのだ、って、ここでまた最初のわからない自分が現れる(^_^;)・・最後までぐるぐる頭の中が回ってしまう本でした。

 

2025/10/19

「みみずくの夜メール 2/五木寛之」を読みました。

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『みみずくの夜メール 2/五木寛之著(朝日新聞社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2005年に第一刷発行されたもので、当時、三年間にわたって朝日新聞に連載されたコラムの後半部分に他のいくつかの文章を加えたものであるとされていました。

エッセイとまではいかないが、日々の暮らしの中から、不平を言ったり、ため息をついたりするような感じで文字にしたようなもの、と著者ご本人が書かれています。

ということで、私がブックオフで手にしたときに、「これは読みやすそう」とすぐに思いました。
そして、そのとおりの“読みやすさ”でした。

また、この頃は五木さんが「百寺巡礼」をされていた真っ最中であり、さらに「千所千泊」という目標を立てて、日本列島の知らない町や村を千箇所訪れて、そこに泊まるというようなこともされていたようで、原稿執筆と共にされていたわけですから、体力的にも大変なことをされていたことがわかりました。

そんな中でも、市井の芸術家について興味を持ち、その人と作品についても紹介されています。
地方に行けば、上記のような芸術家に出会うこともあるでしょうし、運転免許を取ろうとして車の歴史や構造などについても徹底的に調べてから免許センターに行ったりもしています(^^;

歌謡曲の作詞を手掛けたり、独自の健康法を身に付け、体力的なピンチを乗り越えたり、まだ「男の更年期」などということが世間で言われる前からそれが存在すると、お医者さんとやり合ったりもしていました(^_^;)

心血をそそいで色々なことに取り組むのもいいのでしょうが、五木さんのようにどこか力を抜けるところは抜きながら生きていく、そんなスタイルに憧れてしまいました。

何せ二十年前の本ですが、でも、今の私にはとても参考になることがたくさん書かれていました。

まだ五木さんの本で未読な「歎異抄」についての本も手に入れてありますので、また読みましたら読後の感想を書きたいと思います。

 

 

2025/10/16

「小泉八雲とセツ -その言葉と人生-/四條たか子」を読みました。

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『小泉八雲とセツ -その言葉と人生-/四條たか子著・小泉凡監修(宝島社)』を読みました。
今年の9月刊行の新刊なのに古本で安く手に入りました。
今、NHKの朝の連続テレビ小説で小泉八雲と妻のセツさんの物語をやっていて、とても興味があったので読もうと思ったのです。
この本の監修の小泉凡氏は八雲の曾孫です。

読んでみて八雲とセツさんの色々な時代、シーン、周囲の人達の写真も“ふんだん”で、それだけでも貴重なものだし、今現在テレビを見ている自分からしても親近感を感じ、実際に出雲、松江に何度か旅行しているので感慨深いものがありました。

また、二人の結婚前の様子から、その後亡くなるまでのことが実にわかりやすく、そしてどのような人達が二人に関わって、どんな出来事があって、八雲は松江から転居しつつ、その地その地でどういう生活、仕事をしていたのか、執筆してきた作品についてなどについてもまとめられていて、このページ数でよくこれだけ網羅できたものだと感心しました。

また、巻末に「雪女」「ろくろ首」「貉(むじな)」「耳無芳一の話」も収録されていて、名作を味わうことも出来ました。

私自身、今まで出雲、松江には三度出かけていて、八雲が住まっていたあたりの風情などにいつも惹かれるものがあり、八雲に関する本も何冊か読み、旧居や記念館を訪ねるなどして興味津々のところにテレビでドラマをやるということで、所謂「朝ドラ」というものを見たことはありませんでしたが、今回は毎回見ています。
実話とは異なり、脚色された部分も既に多くありますが、それでも面白く見ています。

あらためて小泉八雲と妻のセツさんについてドラマ共々色々な文献もあたりながらお二人の歴史を辿ってみたいと思っています。

 

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