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2025/07/10

「荒木経惟の写真術」を読みました。

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『荒木経惟の写真術/荒木経惟著(河出書房新社)』を古本で見つけ、見て、読んでみました。

1998年初版発行となっており、荒木さんが電通にカメラマンとして入社し、そこでどんなことを経験して(主に光の当て方を色々と工夫し、実験的なことをしていた)、その後にどう結び付けたか、というところから始まって、この本の多くは荒木さんよりも若いカメラマンとの対談で構成されていました。

対談では、荒木さんの数ある写真集の内容にふれている部分が多々あったのですが、写真集からの抜粋された写真を見ることができて、あらためて荒木さんの多様な作品を知ることになりました。

また、私は写真の技術的なことや、機材、現像の方法などの知識が無く、カメラマン同士の対談の中に出てくる専門用語は“チンプンカンプン”でしたが、それでも「きっとこういうことを言っているのだろう」と想像しつつ読み進めば、なんとなくわかってくることもありました。

多くのカメラを持ち込み、同時進行でそれぞれのカメラを使い分けていくやり方や、あえて一つの機種でその特色を生かしてテーマ化して写真集にしていくやり方など、荒木さんの多様な写真との取り組みと、その実例写真を見ていて、ますます“普通のカメラマンじゃない”と思いましたし、荒木さんが世の中で話題急上昇していた頃の“ぐんぐん・どんどん”突き進んでいく姿も思い出しました。

アラーキーは、あの頃も先鋭的だったが、今見ても先鋭的だ、と再確認する読書となりました。

 

2025/07/09

「夫婦脳/黒川伊保子」を読みました。

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『夫婦脳/黒川伊保子著(新潮文庫)』を古本で読みました。

2008~2010年「電気協会報に《男と女の脳科学》として連載」と、2009~2010年「ひろぎん経済研究所機関誌に《感じることば》として連載」されたものを改題加筆・修正し収録したものでした。

黒川さんのご著書は、この本以外にもベストセラーがたくさんあり、私も何冊か読みましたし、ラジオなどへの出演時にご本人のお話しを聞いたこともあります。
その度に、「ああ、ここで例示されている“困った夫”はまさに俺の姿ではないか・・と、いつもガックリと膝を落とすように倒れ込むのでした。

そして例示されている妻の様子は、まさに私の配偶者そのものの様子 ^_^;どうして人んちのことがこんなに手に取るようにわかっちゃうんだろう・・と思い、今後改めようと思うには思うのですが、修正するところが多すぎて覚えきれないよ・・(T_T)となってしまうのでした。

誰もが、どの夫婦が読んでも、夫も妻も思い当たる節ばかりのハズです。

今回の本でもひとつウチの夫婦と合致した例を挙げてみると・・

私が帰宅すると、妻から何か相談というか、聞いてほしいことがあると話が始まり、それは朝起きてから起こった出来事の詳細、会った人すべてについて、こんなところにも出くわした、などなど延々と話が続き、私はどのエピソードのどの部分、どの言葉などがキーワードとなるのか、必死で聞き続けるわけですが、それらは全て相談にのってほしいと言ったこととは何の関係も無いのです。
こんな状態が最低でも30分以上続いて、本題が出てくるのは一時間以内であれば、それはラッキーなことです。いつ終わるかわからず、本題は何なのか、いつまで経ってもわからない、そういうことなのです。

で、「本題は何なの?!」などと聞こうものなら、そこから「あなたは何にもわかっていない、人の話が聞けない、共感も出来ない、最低の男だ」ということになり、私は地獄の底に突き落とされ、そのあと口もきいてもらえなくなるのです。

黒川さんに言わせれば、女性はあったこと、見たこと、起こったこと全てを時系列になめる様に伝えていくのであり、本題そのものよりも、それらを全て聞いてもらって「そうなんだ、たいへんだったね」などと相槌を打ってもらいたいわけです。
そんなことがわからぬ男は問題にならぬほどダメ夫であるというわけです。

今じゃあ、何冊も黒川さんの本を読んできたので、その辺は“なんとか、かんとか”死に物狂いでクリアできるのですが、こんなことは夫婦の間では氷山の一角のエピソードです。
男も女も、このくらいのことは、心して読み始めないと、途中で泣きたくなると思いますよ。

あんまりネタばれ的なことを長文で書いても何なので、夫婦の話以外で面白かったものをひとつ挙げておきましょう。

素晴らしいリーダーというものは、登場しただけで、部下もその他の人たちも笑顔にしてしまう人だ、という部分でした。
最近、どこかの大統領が妙なキャップを被り、テレビの画面に登場しただけで気分が悪くなり、体調も崩し気味です。聞かせてやりたいっ!

自分を待ってくれている人たちの存在を微塵の憂いも不安もなく、邪気なく、嬉しがれる能力こそがリーダーの資質なのだろう、とおっしゃっています。そのとおりだ。

そしてそのためには、日頃から「被害者」にけっしてならない覚悟が必要だと。

誰かに裏切られても、裏切らせてしまったことを憂い、他者に迷惑が及ばないように慮る。
自分を被害者にして可哀想がったり、他人を恨んだりしない覚悟があってこそ、邪気なく人を嬉しがれる。
その「被害者にならない」覚悟こそが、リーダーの資質なのだと思う。とのことでございました。
聞かせてやりたいヤツばかりのお話しで締めて、本日の読後感を終えたいと存じます。

 

2025/07/05

「どうせ、あちらへは手ぶらで行く/城山三郎」を読みました。

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『どうせ、あちらへは手ぶらで行く/城山三郎著(新潮社)』を古本で見つけ、読んでみました。
1927年生まれで、2007年に亡くなられた城山三郎氏の最晩年まで綴られた手帳を次女の井上紀子さん(※長女弓子さんは生後数ヶ月で早逝されている)が、父の心の内を垣間見るのを娘とはいえできぬことと思い、ためらいながら最終的にこの本として成立させたものです。

発行は2009年となっておりました。

最愛の奥さんが倒れる前年から、著者の最晩年まで、手帳には自らを励ますような言葉も多々見受けられ、でもあの著書「そうか、もう君はいないのか」でも読み取られた抑えがたい悲しみも、何度も何度も綴られていました。

そして城山三郎さんご自身の老いとの葛藤も。
城山さんの手帳に書かれたメモからこの本は出来上がっているのですが、鍵や、招待状、帽子にコート、待ち合わせの場所など、物忘れのひどさの様子もわかりました。

また、体重についても書かれていましたが、奥さんが亡くなられてからは体重の減少があり、読んでいるこちらも気になりました。

お好きだったゴルフのスコアも、悪くなっていく様子がわかり、最後の方はスコアも書かれていませんでした。

日々、自分を励ますだけでなく、「これでいいんだ“鈍鈍楽”で生きよう」という晩年をなんとか気持ち安らかに過ごそうという自分へ言い聞かせるような部分もありました。
あと何年かしたら私も同様の境地になるのかもしれない・・と思いました。

城山さんの作品は何冊も読み、このブログでも読後感を何度かご紹介していますが、晩年の執筆する様子もわかりました。

緻密で事前の調査作業は大変なものだろうと思ってはおりましたが、執筆の“裏側”も垣間見ることができて、うれしくもありました。

ますます城山三郎という作家を好きになりました。

 

2025/07/01

「玉子 ふわふわ/早川茉莉・編」を読みました。

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『玉子 ふわふわ/早川茉莉・編(ちくま文庫)』を古本で見つけ、読んでみました。
2011年に早川茉莉さんにより編まれた“玉子に関する”エッセイ集というものでした。

森茉莉、石井好子、武田百合子、林芙美子、池波正太郎、伊丹十三、吉田健一、向田邦子、色川武大、北大路魯山人、田辺聖子らの玉子に関するエッセイは、今では考えられないような極上の文章でもって綴られています。

もうね、読んでいるだけで気絶しそうになるくらい“もったいぶった”表現がこれでもか、これでもかと書かれていて、その文章自体が“極上の料理”のように感じられ、読み進んでしまうのが“勿体ない”感じでした。

特にフランスなどの外国で味わったオムレツなどの話になると、その国の雰囲気、お店の様子、シェフや店の従業員の表情、調理の風景、実際の料理がどのようであったか、自分はどう感じ、その後帰国して、あるいは帰宅してその料理をどう再現したのか、などなど、この本一冊あれば、料理が物語の中心になっている本が書けそうなくらい^_^;

また、章ごとに「ご馳走帖」という一文が編者によって書かれているのですが、各章に登場した方々が披露した料理についてのコメントがこれまた珠玉の仕上がりとなっておりました。

実に貴重な方々の貴重な料理に関する一文の集まった“内容豪華”な本でした。

 

2025/06/28

「NHK俳句 今日から俳句/片山由美子」を読みました。

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『NHK俳句 今日から俳句/片山由美子著(NHK出版)』を古本で見つけ、読みました。

2012年第一刷発行となっていました。
著者は、NHK俳句選者で、句集多数、評論集も出されています。
またエッセイ集などもあり、第5回俳句研究賞、第21回俳人協会評論賞、第52回俳人協会賞なども受賞されています。

読んでみて、ひと言で言ってたいへん参考になりました。
季語や季節感、五・七・五の基本的なつくり方などもよくある「もうわかってるでしょ」的な感じもなく、丁寧に教えてくれる本でした。

そして、初心者が使い方が難しくて混乱する「切れ」と「切字」についても例示もわかりやすく、やさしく教えてくれるものでした。

字余りや、字足らず、句またがりなども今までどう考えたらいいのかわからなかったことについてきちんと整理されて書かれていて、悩みも減りました。

まだ私が未知の領域と感じている「文語」での作句についても書かれていました。
これについては、文語そのものの参考書も手に入れているので今後の課題です。

後半に入って比喩や、擬声語、擬態語、擬人法など、素人には使用することの難しいものについて、例示が良いもの、悪いものが書かれていてわかりやすいものでした。

具体的な技法はもちろん参考になりましたが、私が一番感じたのは、自分の年齢から感じる人生を表現できるのではないかということが書かれた、俳句の良さについてでした。

今だから感じ、今だから句にしてみたいことは、ふつふつと私の中にも湧きあがってきているのです。

そんな気持ちを大事に、これからも俳句に向き合いたいと思いました。

 

2025/06/24

「あやしい探検隊 焚火発見伝/椎名誠・林政明」を読みました。

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『あやしい探検隊 焚火発見伝/椎名誠・林政明(小学館文庫)』を古本で読みました。
1994年~1996年に「週刊ポスト」に連載されたものを1996年に単行本としてまとめ、さらに1999年に文庫化されたものです。

内容としては「焚火の達人」と言ってもけっして過言ではない椎名誠さんと、「野外料理の達人」と言っても過言ではない林正明さん(※椎名さんの「あやしい探検隊」の総料理長でもある)が、“焚火のもと”あやしい人たちと共にあやしい料理を作り、食べ、二人が二人の立場で文を書いた・・というものです。
ほんと、このまんまの内容でした。

最初っからスゴイことになっていて、「タヌキ」料理を作るのです。もちろん食べます。
タヌキの肉は匂い抜きが難しいのですが、あれこれその道のの人に聞きながらなんとか林さんが料理にしてしまいます。

「ぬた」や「燻製」、そして童話などにもでてくる「タヌキ汁」まで・・。
さらにその汁が残ると、うどんを投入!(^_^;)・・これがほんとの“たぬきうどん”となったのでした。

そしてこの事態の一部始終を椎名さんと林さんがそれぞれの立場で文にしていくわけです。
椎名さんはあやしい探検隊の隊長として、そして林さんは料理長として(^^;)実に面白い文章になっておりました。

たぬきのあとは、アンコウと格闘し、さらにモンゴルの大草原に出掛けては、羊をさばくところからの料理に挑戦!

さらに奥多摩で地元の特殊な種類のジャガイモを作るところから、今度はジャガイモ料理に。

たけのこ、油揚げ(揚げるところから豆腐屋さんに作り方を教えてもらい、やってみる)・・などなど、飽くなきチャレンジが敢行されるのでした。

まだ登場する皆さんは若い(太田和彦さんもいた)ので、実に豪快な焚火料理天国となっておりました。

全国のワイルドな皆さんはぜひ一度読んでみていただきたいと思いました。
もう、今現在、こんな人たちは“絶滅危惧種”ですから。

 

2025/06/18

「まわれ映写機/椎名誠」を読みました。

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『まわれ映写機/椎名誠著(幻冬舎)』を古本で見つけ、読んでみました。
2000年~2002年にかけ、「星星峡」に連載された作品をまとめ、2003年に刊行されたものです。
実体験をベースにした小説、と、ご本人が書かれていますが、まさに体験中に感じたことがドキドキするような感じで書かれていました。

映像、特にフィルム・映画に幼い頃から興味を持った椎名さんが実際に大人になって自ら監督となり、映画を製作するまでのことが書かれていました。

驚くのは、300頁もあるその半分の部分が、子供の頃の幻灯機との出会いと、それを自ら工作して作り、なんらかのフィルム状のものに絵や文字を入れて、ひとりで見て興奮するだけでなく、友達にも見せ、やがては8ミリ撮影機を持つ友達と出会いどんどん映画というものに興味を持ち、近づいていくところを描いているのです。

ふつうは、こういう部分は手短に思い出として語り、さっさとこの本の後半部分、初めて四万十川にいつもの焚火キャンプ仲間を中心に集め、素人集団と言えるような状態で「ガクの冒険」という、あの有名な“カヌーイスト”野田知佑氏と、“カヌー犬”のガクの物語を映画として撮るというメインに突入するところですが、そうではなく、子供の頃の「撮影と映写」への憧れからやってみたことを事細かに書かれているのでした。

私も似たようなワクワク感を子供の時に感じたことが有り、雑誌付録の紙の幻灯機を作り、壁に映しているだけでは飽き足らず、夏休みの宿題として木工でそのレンズを利用して自作幻灯機を作ったことがあるのです。

さらに巻き取り式に透き通ったセロファンのようなものを細長く切ってフィルムを模したものを作り“映写機”みたいにして一人興奮した記憶があります。

椎名さんも書かれていましたが、昔は8ミリカメラを使うアマチュアのための「小型映画」という雑誌があり、熟読されていたようで、私も8ミリカメラなど持ってもいないのに、その雑誌を買って、読んでみたことがありました。
なんかワクワクする気分はきっと椎名さんと一緒だったのだと思います。

そんなことを椎名さんは、150頁以上使って書かれていたのですが、全然“ダレる”こともなく、ただただドキドキする気持ちで読むことができました。
なので、後半の映画製作の部分がより光り輝いて読むことが出来たのだと思います。

10年間の期間限定で、映画製作会社「ホネフィルム」を作った椎名さんは、「ガクの冒険」のあとも果敢に作品を作られていました。
まさに夢を実現した感じです。
最後までキュンキュンしながら読みました。
実録小説、とてもいい作品でした。

 

2025/06/13

「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか/能町みね子」を読みました。

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『そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか/能町みね子著(文春文庫)』を古本で読みました。
週刊文春の連載「言葉尻とらえ隊」の2018年~2020年までのものから選抜・改稿し、まとめたものと記されていました。

義母を病院の検診に送別したときに、病院で検査などの時間待ちの時に読みましたが、もともとの連載文が「言葉尻とらえ隊」というタイトルのものから持ってきているとのことで、文字通り“言葉尻”を捉えて食い下がるというか、食らいついている感じの内容に疲れました。

5~7年前の連載文なので、今となってはもうあの頃のSNSでの一言に炎上したり、遠慮会釈のない誹謗的なコメントが集まった事象などについて事細かに喰いついているのですが、現在の段階で私が読むと、「もう、うんざり」という感じでした。

病院の待合ロビーで読んでいたのですが、自分が具合悪くなり、入院したくなりました。

この頃はよかったのかもしれませんが、芸能人などの行動、発言、世の中で目だっている人の奇異ともとれる言動などについて突っ込みが入るわけで、今の私には神経がおかしくなるような事ばかりで、思い出すのもイヤなことばかり。

この本が出た頃だったら、どんどん読み進むことが出来たのかもしれません。
しかし、今のSNS全盛の風潮に身も心も“削られた”ような心境の私にはもう読む力が残っていませんでした。

疲れ切ってしまい、感想としてはこのくらいです。
面目ない。

 

2025/06/12

『児玉清の「あの作家に会いたい」人と作品をめぐる25の対話』を読みました。

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『児玉清の「あの作家に会いたい」人と作品をめぐる25の対話/児玉清(PHP研究所)』を古本で見つけ読んでみました。
2009年第一刷発行となっていました。

児玉清さんは世に知られた読書家でもありましたが、作家25人と対話していくという本になっていました。
角田光代さん、村山由佳さん、江國香織さん、北方謙三さん、三浦しをんさん、山本兼一さん、有川浩さん、石田衣良さん、小川洋子さん、川上弘美さんなど私にとっても興味深い作家との対話で、どんな家庭に育ったのかとか、どんな本を何時頃から読んできたのか、また作家を志したのはいつから?など、作家の方々はけっこうスラスラと語っていらっしゃいました。

それぞれの作家についての質問などにふれると大変な量になってしまいますので、私が特に感じるところがあった部分にふれたいと思います。

上橋菜穂子さんとの対話の中で語られたフレーズに、「読書は想像力を養ってくれるものなのに、今の世の中は見たものだけが現実だと思っていて、社会が大人性を失っている感じがします。」という部分がありました。

読書の良さと、読書をあまり大切にしない世代・人たちの相反性、さらに現代の世相の一端を感じました。

もうひとつは、石田衣良さんとの対話の中で出てきた部分です。

「一つ言えるのは、本を読まない人は“ソン”をする。情報の九割は言葉でできていますから、読まないとますます情報格差が広がっていくでしょうね。」

「映像の中ばかりで育ってしまうと、見たものだけを現実と勘違いしてしまいますよね。」

というところでした。

最初のものと共通するものがありますが、とにかく、ネット、動画などに大きく影響を受け、想像力に欠け、妄信的に一方の言い分だけを信じるような現在の世の中の様子が頭の中に浮かびました。

それと、やはり驚くべきは児玉さんの読書の量と、分野、深さでした。
作家がこんな本を読んできた、という例を挙げると、ほとんどを読んでいて、的確なコメントをする児玉さん、スゴイッ!!

 

2025/06/10

「冥界からの電話/佐藤愛子」を読みました。

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『冥界からの電話/佐藤愛子著(新潮社)』を古本で見つけて読んでみました。
2018年発行となっていました。

内容はですねぇ・・「実話」ということなんですけど、著者の佐藤愛子先生が懇意にしているお医者さんに掛かってくる電話の話なんです。

そのお医者さんは、教育委員会から頼まれて、とある高校に「医学部に入るには」というテーマで講演をしたというのです。
お医者さんは、教委や生徒達が求めている勉強の方法、テクニックなどについては語らず、医者になりたかった理由というか、倫理感、生命の大切さ、自らの志などについて話したというのです。

で、それが一向に“ウケない”、教委の人達も“あて”が外れたような拍子抜けの表情で、がっかりして帰ったが、しかし差出人不明の手紙が届き(その講演を聞いた女子生徒だという)、いい話で感動した。自分は文系に進むつもりだったが医学部を目指してみたい、という内容でした。

便箋に小さく書かれていた電話番号らしきところに電話するとその子が出て、暫し話をして、医学部目指して頑張るということになったとのこと。

そして、その子は医学部に合格したのですが、友人のクルマに同乗したときに事故に遭い、亡くなってしまったと、その子の電話帳履歴を見た兄から電話が来て判明するのでした。

それからの話で、その亡くなった子から先生のところに電話が来るようになるのです。
しかも兄に憑依して掛けてきて、途中から声はその子そのものになり、二人だけが知っているようなことを話し出すという不思議なことに。

その後は、この不思議な電話を受けたお医者さんと、佐藤愛子先生が実際に起こったことのみについて確認し、二人でその事象について検証しながらやり取りしていくという展開なのです。

先生への電話は、その後も続き、読んでいるこちらも半信半疑ですが、お医者さんも自分が精神的にどうにかなってしまったのかと佐藤先生に言いながら事実を告げます。

あとは読んでみてほしいのですが、実に不思議な話でした。

私も死者から話しかけられたことは何度かありますが、電話で話をしたことは一度もありません。
興味を持たれた方はどうかご一読を。

 

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