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2025/06/05

「言葉のおもちゃ箱 伊奈かっぺい綴り方教室/伊奈かっぺい」を読みました。

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『言葉のおもちゃ箱 伊奈かっぺい綴り方教室/伊奈かっぺい著(本の泉社)』を古本で見つけ、読んでみました。

2022年初版発行となっていますので、そんなに古い本ではありません。
内容を読むと、コロナ禍の外出もままならない時期の鬱屈とした様子が書かれた部分も多いので、ああ、あの頃のものか・・と、少し感慨深い気持ちになりました。

伊奈さんについては、古くからテープやCDなどで、コンサートというか、トークショーみたいな形式のものを何本も聞いてきたということもあり、面白いし、気取らないし、好きな人です。
私の中学時代の担任で美術の先生も、私に何枚もCDを貸してくれて、たくさん聞きました。
実に面白かった。

その印象を持ってこの本を見つけ、読んでみたわけですが、コロナ禍の鬱屈を色々な事象に対して世の中の認識から“反転”させるような見かたで、この本のタイトルのように言葉をおもちゃ箱的に楽しんで皮肉な感じで笑いにもっていっていました。

最初は私もなるほど面白いやり方だと思いながら読んでいたのですが、如何せん途中で息切れしました。
なんか笑っていられないというか、もうそこまでやらんでもいいですよ・・という感じになってしまったのです。

「上塗りの下ごしらえのような恥」とか、「貧乏くさいのは貧乏じゃない人の特徴だ 偉そうにするのは偉くないからだよね」さらに「無理が通っても総理は引っ込まない」などというところまでは面白がって読んでいたのですが・・・

「その人を知りたかったらその人の本棚を身よ」という誰かが言った言葉について「あなたの本棚を見せてください」と、人は言わないだろうし、そんなことを言われたこともない。
と、話を展開し、本棚なんか見てその人がわかるはずはない、自分の本棚を見てもそうだ・・というふうになっていって・・そこまで“絡まなくても”いいですよ、話をもっと面白く、前向きに、笑っちゃうように進めればいいのにと思うような項目が中盤からどんどん増えてきて、読むのがだんだんとつらくなってしまいました。

実に意外なことになってしまったのですが、おしゃべりではなく、文章になると笑う前に“くどく”なってしまって、先に読み進んでいくと私自身の心が暗くなってしまいました。

感想は人それぞれで、私の体調が良くなかったのかもしれません。
もう一度読み直せばとても面白いのかもしれませんが、しばらくは“寝かせて”おいた方がいいな、という状態になって読了いたしました。

 

2025/04/14

「ほっとする論語/杉谷みどり・石飛博光」を読みました。

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『ほっとする論語/杉谷みどり(著)・石飛博光(書)(二玄社)』という本を古本で見つけ、読んでみました。
2007年発行のものなので、ちょっと古い本でした。
帯を見てみると、一時期テレビでよくお見かけした市田ひろみ(服飾評論家)さんが推薦の言葉を書かれていました。

この本は著者・杉谷みどりさん(プロデューサー・編集長・著述家)が、孔子の言葉をわかりやすく解説し、書家の石飛博光さんがその論語を様々な書体で表現されていて、論語についてあらためて込められている意味をしみじみと感じ、さらに書によって視覚的にも芸術的にも刺激を受けるような形になっていました。

 

 

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「詩を学ばざれば、以て言うこと無し」

さしあたり必要のない詩を読み、さしあたり必要のない礼儀作法を学ぶことが教養だとすると、なにか即効性があるわけではない。
それらが価値あるものに生まれ変わるまでには熟成が必要だということ・・。

教養は感性を養い、人の持つ豊かな感性の世界に触れて行く事で、社会や時代の枠にとらわれず自由な発想が出来るようになる、・・歳とって実感しているところです。

わずかな言葉から多彩な意味内容を汲み取り、人の抱く喜怒哀楽の深さ、感情の微妙な陰影、人情の機微までを知ることになる。こうして育まれた豊かな心に「思いやり」が生まれると。

・・そうか、そうだよ。やっと今になってわかりかけてきたよ、と思いました。

「得るを見ては義を思う」という論語のところでは、簡単にいうと
欲に目がくらんだ人の前に儲け話はやってくる。
騙す方は真剣で、そんな顔をよく知っている。
うまい話に出会ったら、自分をよく見て考える。大き過ぎないか、豪華過ぎないか、立派過ぎないか・・。

上記のことも当たり前だとはわかりつつ、多くの人が、いざその時には忘れてたいへんなことになる。ニュースでもそんなことをしょっちゅう聞く。

などと色々考えつつ、そして書を鑑賞しつつ読み終えました。
少し気分がすっきりしました。

 

2025/04/12

「言葉の温度/イ・ギジュ・米津篤八訳」を読みました。

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『言葉の温度/イ・ギジュ著・米津篤八訳(光文社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2019年初版発行となっていました。

著者イ・ギジュ氏は作家で、もともとはソウル経済新聞などで社会・経済・政治などの記者をされていた方とのこと。

最初立ち読みしていて、なんだか欲しくなり購入しました。

「言葉」に関する本なので、日本語に訳したときにそのニュアンスが伝わって来るのだろうかと思っていましたが、基本的には問題ありませんでした。興味深く読みました。

著者が寺院で古い石造りの塔を見ていたときに、住職から「この数百年は経っている石塔は、実はちょっとした隙間が必要なのだ」という言葉に引き込まれた様子が書かれていました。

「余裕がなく、中身ががっしりと詰まっていると、風雨に耐えられずにガラガラと崩れてしまうのだよ」と教わり、「何であろうと、隙間があってこそ頑丈になるものだ」というわけなのです。

著者の頭の中をこの言葉が駆け巡り、「あまりに完璧を求め過ぎて、途中でバランスを失ってひっくり返るようなことが数えきれないほどあったような気がした」と思ったことが書かれていて、私も今までいろいろな局面でそんなことがあったような気がすると思ったのです。

もうひとつこの本からのエピソードをご紹介しておきましょうか。
結婚した娘に電話したくてもなかなか通話ボタンを押せない七十代くらいのお年寄りを見たことが書かれていました。

10分ほど迷ってから電話すると「お父さんだよ。元気でやってるか?ただかけてみただけだ・・・」という通話。

この「ただかけてみただけ」という言葉の裏には、いろいろなことが背景にあると思います。
心配を口にだすことができないけど、でも電話をかけずにはいられない親心・・。
さだまさしさんの歌にもこんな感じのものがありました。

上記のようなある人がかけた言葉に著者が“ピン”と感じたことがたくさん書かれていました。
その場で覚えておこうと思っても、やがて忘れてしまうような大切な言葉がたくさん書かれていました。

 

2025/04/10

俳句を詠んでみる_0412【 春の朝 ご安全に の 声聞こえ 】

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以前仕事で出かけた会社・工場で聞いた挨拶の言葉を思い出して詠んでみました。

【 春の朝 ご安全に の 声聞こえ 】

《背景》季語:春の朝[春]
仕事で製鉄会社を訪ねた時に、最初に挨拶した方から、次々とすれ違う方、エレベーターで乗り合わせた人まで、全ての人が「ご安全に」と挨拶してくれました。
初めは何と言っているのかわからなくて、思わず聞いてみたら「ご安全に」だと教えてくれました。
何かいい挨拶だなと思ったのです。
帰りには、こちらからも「ご安全に」と声を掛けました。

 

2025/03/06

俳句を詠んでみる_0379【 春の朝 続きが見たい 夢だった 】

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谷川俊太郎さんの子供からの質問への答えが面白くて、そこから発想して句を詠みました。

【 春の朝 続きが見たい 夢だった 】

《背景》季語:春の朝[春]
ラジオを聞いていたら、谷川俊太郎さんが子供の質問に答える本が読まれていた。
「おいしいものを食べていた夢の続きを見たいときは、どうすればいいの」と問われ、谷川さん「目覚めた時、大きな声で“続く”と言うといいよ」と。
余りに可笑しくて「夢の続き」をモチーフにして句を詠んでみた。

 

2025/02/24

俳句を詠んでみる_0370【 春隣 先生の名を 発見す 】

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妻が貰ってきた冊子に中一の時に担任していただいた先生が・・。

【 春隣 先生の名を 発見す 】

《背景》季語:春隣[晩冬]
妻が通っている習字の先生からいただいた「千葉文化」という冊子を見ていたら・・。

私の中学一年の時の担任の先生の写真が目に入り、驚いた。

秋葉四郎先生は国語の教師で、当時は知らなかったが、有名な歌人で、多くの歌集を出し、佐藤佐太郎研究資料室の開設や、去年まで斎藤茂吉記念館の館長を務められ、今も千葉市短歌協会会長を務められていると書かれていました。

現在87歳。
私が中一のある日の放課後、私ともう二人の女生徒を呼び、それぞれに三冊の本を渡され、「君達にはこれを読んで欲しい」とおっしゃられた。

私には「次郎物語」「友情」「あしながおじさん」を手渡してくださった。
夢中で読み、今や年間150冊の読書をする本好きになった。

こうなることを思っていたのだろうか。
先生、ほんとうにありがとうございました。

 

2025/02/09

俳句を詠んでみる_0356【 歌留多詠むよに 老いずに熟せと 識る 】

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神社の本殿に掲げられた言葉を見つけて一句詠みました。

【 歌留多詠むよに 老いずに熟せと 識る 】

《背景》季語:歌留多[新年]
JR蘇我駅近くの地元の人に支えられている今井神社に立ち寄った。
真っ赤な本殿の前で見上げると、「熟すべし 老いるべからず」との言葉が掲げられていた。
妻が読み上げると、二人で顔を見合わせ「そうだね」と互いに言った。

 

 

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2025/02/02

「失礼な一言/石原壮一郎」を読みました。

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『失礼な一言/石原壮一郎著(新潮新書)』を古本で読みました。
2023年発行なので、古本と言っても近年のものです。

著者、石原壮一郎氏はコラムニストで、「大人養成講座」「大人力検定」「大人の言葉の選び方」などの著書があります。

読んでみると、けっこう“やらかし”がちな例がたくさん示されていました。
ペットを亡くした人にかける言葉なども、ついつい言ってしまいそうなことが例示されていて、思わず言ってしまう人がいるだろうという感じでした。

私も役所の窓口で飼い犬の登録に来た人に、窓口の担当者が「犬の登録ですね」と言って、「失礼なっ!ウチの〇〇ちゃんを“犬扱い”しないでください」と怒っている人を見たことがあります。
窓口の担当者は茫然としておりましたが、うしろから係長さんが出てきて「申し訳ありません・・ワンちゃんの登録ですね」と、その場を納めようとしている現場に遭遇したことがあります。
・・難しいよねぇ、犬を犬と言ってはいけないんだものねぇ・・。

とにかく実用的な例示がたくさん載っていました。

「おごる」ときと、「おごられる」ときに言ってはいけないこと。

その人の年齢を知った時の多種多様な“地雷”。

独身者に対して結婚について質問するやつ。

人様の「好き」を否定する人。

冠婚葬祭での“やらかしがち”な落とし穴の数々。

などなど、私自身がやらかしていないか、ドキドキしながら読みました。

カミングアウトされたときの対応、というのもありました。

私も長年、公私ともに遊んだり、仕事でいろいろな付き合いのあった後輩から、実はとLGBTQのGであるとカミングアウトを受けたことがありました。

意外となんとも思わず、ああそうなんだ、と思っただけでした。
そのとき既にカミングアウトを受けていた本人の仲良しの何人かがその場にいて、皆とても自然にしていて、その後もまったく以前と変わりなく付き合うことができました。
本人も年上の人間には私だけにカミングアウトしたのだが、良かったと言っていました。

でも、カミングアウトする人を間違うと、“アウティング”されてしまって大変なことになりかねません。

対応力が試される世の中になったものだと実感した本でした。

特に最近は、たった一言が大変な事態を招いている実例が毎日のようにあって、心休まることのない会社の上層部の人はたくさんいるでしょう。

自分は大丈夫だ、などと慢心せずに、常に相手のことを慮って、対応、言葉遣いに気を付けようと思いました。

 

2025/01/30

「怖い日本語/下重暁子」を読みました。

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『怖い日本語/下重暁子著(ワニブックスPLUS新書)』を読みました。
新刊です。私にしては珍しい(^_^;)

度々下重さんの著作については感想をアップしていますが、厳しいご意見が多いけど、でも同調、同感することばかりです。
最近は、けっこう“腰が引けている”人が多くて、結局人のせいにするような書きぶりで何かを言わんとしているような本がけっこうありますが、下重さんの本はそんなことなく、ビシッと書かれています。
それが気持ち良いのです。

私自身もこのブログに何度か書いていましたが、

「みなさんに勇気を与えたい」だとか、「結婚させていただきました」とか「連休は家族で楽しめたの“かな”と」・・これらは下重さんならずとも私も気持ち悪い・・。

「誤解を恐れずに言えば」ってのも書かれていましたが、最初っから付け加えなくとも良い言葉だと私も思います。

「もしこれによってご不快な思いをされた方がいたとしたらお詫びしたい」ってのも、お詫びしていない典型的な許せない言い回しです。

・・「不快な思いをする人がいるとは思っていないよ、でも意図していなかったけど不快だと言うなら、私はあなたよりも地位が高くて権威もある立場だけど、謝罪してやるからありがたく思いなさい」ということですよね。ほんとに不快っ!

「他人ごととしてではなく、自分ごととして考えたい」ってのも薄気味悪いです。
当事者意識を一応持っているかもね、ってところでしょうか。
言っている人自体何にも違和感を感じていないのでしょう。

というわけで、上記のような例はほんの一例です。
私には溜飲が下がる思いでしたが、ふだんから何も感じずにこれらの言葉を使っている人には何が何やらわからないでしょう。ご愁傷様です。

 

2024/12/23

「ひとりで生きる/伊集院静」を読みました。

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『ひとりで生きる -大人の流儀9- /伊集院静著(講談社)』を古本で見つけ、読んでみました。
2019年発行の本で、初出は「週刊現代」の2018年10月~2019年8月に掲載されたもので、その中から単行本化にあたり抜粋、修正がなされています。

いつも読むことによって心強くしてくれた伊集院さんの本ですが、伊集院さんは昨年11月に亡くなられました。まだまだ力強く叱って欲しかったと今でも思います。

いつもどおりの“伊集院節”ですが、私の心に残った部分を少しだけ抜き出してみます。

〇勘違いと傲慢は、その人の成長をたちまち止まらせる。

・・・天才と言われて、その気になったら終わるのと同じであると伊集院さんはおっしゃっています。
そんな人、有名人でも何人も見てきましたが、私の仕事人生の中でもそんな勘違いをして途中から道筋を外れて行った人がいました。
未知の領域にあるものを発見したり、創造したりするということは、勘違いや傲慢な態度をしている暇も無いほど励まないと出来ないということなのだと伊集院さんはおっしゃっています。

〇※伊集院さんを拾ってくれた会社社長の言葉(故人ですが、ラジオのジャズ番組の司会を長いことやられていて私はファンでした。“お味噌ならハナマルキ”の歌を作った人です。貿易会社を経営されていた。) → 「碌な学歴も、家系さえないおまえが、この社会で生きて行くには他人の十倍、いや百倍働け!三十五歳までは土、日、祝日はないと思って働いて、ようやく人と並ぶんだぞ」

・・・大学を卒業しても就職せず、けっこう“ヤバい”仕事をして、フラフラしていた伊集院さんは、この社長に拾われ、二年間、鍛えられ、時にはやさしい言葉をかけてもらっていたようです。
この社長が亡くなられるまでずっと人生を教えてくれたと感謝していました。

〇時折、銀座の遊び場でネエさん方が、「今のお客さんの時計見ました? XXXXで三千万円するのよ」と耳にした伊集院さん、「よほどの成金か、バカなのだろう」とおっしゃっています。

・・・私もまったくそう思います。学生時代の友達と就職して十数年後に同窓会などで会う機会があると、時計を見せて「これ、わかる?いくらだと思う」と聞いてきた“羽振りの良さそうなヤツ”が何人かいましたが、相手にしませんでした。

というようなことが、たくさん書かれていました。
いつものように自分はそんなに間違った生き方をしてはいないんじゃないか、という確認ができたような気がします。

 

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